時 代 | 信仰形態および関連事項 | 山の土地利用 |
古 代 | 日本武尊の東征伝承に結びつけた「時雨が峯」の山名由来伝承。 ●麓山神社(山宮)に、山の神を祀る。荒ぶる地主神の鎮まる山として、手向けの祈りがささげられた。山そのものが神様としてあおがれた。 |
神聖な禁足地として、おそれて入らない。水を恵ぐ雨乞いの山として遠くからあおがれる。 |
中 世 | ●北安東荘、安東荘、熊野神領として、熊野信仰の伝播普及。熊野修験の行場となる。死者の霊が行く山としてあおがれる。 ●道白平に追善供養の霊場形成。(高野山の真言密教の伝播。念仏浄土の山となる) ●道白禅師、山中修行。武田信玄の駿河侵攻。 |
修験者が行場として利用。 追善供養の参詣。猟師、金掘りが入り込む。 山城として山道支配。 |
近 世 | ●慶長17年(1612)樽の権兵衛荒れた山上に龍爪大権現を祀って、山の神祭りを再興する。 ●寛文元年(1661)参詣を広めるための「龍爪山開白ゑんぎ」作られる。 権兵衛の子孫、山上から里(吉原、平山、樽、清地)へ降りて里修験となる。 ●延宝、元文の頃、山上に子供の供養塔が建てられる(s)。 鉄砲祭りが、評判となり参詣人群集する。 龍爪山の天狗伝説広まる。 ●文政8年(1825)龍爪権現の山伏、虫送りの祈祷を船越村で行う。 |
山麓農民の入会地となる。 ●元禄2年(1689)秣場入会の裁決でる。 この頃、焼畑、製炭盛んに行われる。 毒荏の栽培盛んになる。 |
近 代 | ●明治5年(1872)修験道廃止となる。 ●明治8年(1875)龍爪権現「穂積神社」と改称される。 「龍爪山矢玉除御守」が、日清戦争の出征兵士に送られ、「玉除け信仰」流行ってくる。 |
●明治40年(1907)村々に秣場が払い下げられる。 |
現 代 | 戦前、出征兵士の無事を祈る参詣、盛んに行われる。 戦後、ハイキングコースとして賑わう。 |
戦後、スギ、ヒノキの植林地となる。 |