本書に収録した古文書について、簡単な解説を加えたいと思うのであるが、その前に、この地区には現在どれ程の古文書が残されているだろうかと、考えてみる。勿論正確な事はわからないが、あまり多くは残つていないだろうと、推測されるのである。地域の重要な古文書の多くが、散逸してしまい、あるいは日を追つて消滅しつつある。
このような事を心配して、過去にも古文書を纒めてみようという計画はあつた。しかし実を結ぶに至らなかつた。それは一部の人の熱意はあつても、全体の機運が今一つ熟さなかつたと、云う事であろうか。本書が若し、そのような機運醸成の一端にでもなれば、幸いこれに過ぎるものはないと思う。
本書は平山区有文書(現在三枝庵蔵)を中心に、平山滝家(穂積神社神官)文書、瀬名川桜井家文書等を収録してある。いずれも読み下し文になおし、いろいろ不備な点もあろうが、読みやすい事を第一に考えた。史料として、やはり平山区有文書から一編、則沢池田家文書から、北沼上村検地帳を採録した。いずれも徳川期のものであり、明治改元後のものは、それが一連のものであつても、今回はすべて割愛した。
この地域の歴史を考えてみるに、それを深く決定づけたのは、長尾川の流れと、総名の竜爪山とである。長尾川は古くから竜爪川とも云われ、又は微雨川、又は瀬名川などとも呼ばれて来た。瀬名の地名は、この「瀬名(無)川」──瀬の無い川、即ち水の無い川──から来ているとも云われている。
この竜爪山から激しく流れ下る川が、或いは谷を深くけずり、下流では士砂を堆積して扇状地をつくり、そこに住む人々と深くかかわり、さまざまなドラマ演出のかけがえのない舞台となつた。
更には又この細長い谷と、狭い扇状地とをとり囲む、竜爪山を主峰とする入りくんだ峰や谷々が、この地に住むすべての人々に、生活の必需品を──日々の燃料や、牛馬の飼料、田畑の肥料等、或いは家屋や土木の資材までも──供給して来たのである。総名の竜爪山を抜きにしては、往時の郷土の社会は成り立たなかつたのである。
更に竜爪山には、大昔からの民俗信仰の山としての、特殊な要素が加わつていた。
このように見てくると、竜南の古文書は、そのほとんどが、この悠久の舞台の上に、演じられた、のつぴきならぬドラマの記録に外ならない。かつて此の地に住んだ人々のいきづかいが、直接伝わつてくるような、労辛の記録である。