江戸表へ罷り下り、御勘定御奉行様松平伊豆守様御掛り、並びに御留役岡本庄蔵様、
恐れながら書付を以つて願い上げ奉り候
松平豊後守領分
駿州安倍郡
北沼上村
同領分
同国同郡
南沼上村
同領分
同国庵原郡
鳥坂村
松平豊後守 相給
大久保玄蕃頭
同国同郡
瀬名川村
大久保玄蕃頭知行所
同国同郡
瀬名村
右5ケ村惣代、南沼上村組頭左兵衛、瀬名村名主雄右衛門、瀬名川村名主新五兵衛、申し上げ奉り候。北沼上村地内山敷切り抜き、長尾川を浅畑沼へ切り落とし、御新田開発仕り度き段、駿府上魚町源右衛門、御願い申し上げ候につき、当夏中御奉行所へ召し出され、だんだん御糺し遊ばされ候につき、其の節罷り下り候惣代の者、右5ケ村差し障り難儀の段、御願い申し上げ奉り候処、御吟味の上帰村仰せ付けられ、其の上此の度場所御見分の為、早川富三郎様、青島俊蔵様御越し遊ばされ、御見分の上、右5ケ村名主、組頭、百姓代、並びに願人一同度々召し出され、委細御尋ね遊ばされ候につき、私共村々差し障りの難儀の段、申し上げ候処、御吟味の上口書き、印形御取り遊ばされ、則ち印形仕り差し上げ奉り候所、右場所御見分御吟味の趣、御奉行所様へ仰せ上げられ、此の上思し召しを以つて召し出され、いずれ共御沙汰に及ぶべきの旨、この度右御両人様より仰せ渡され候。
然る処当夏中召し出され候節も、御訴訟申し上げ奉り、なお又此の度御見分の上願い上げ奉り候とおり、右5ケ村至つて難儀の儀に御座候につき、恐れ乍らまたぞろ、惣代として私共罷り下り、御願い申し上げ奉り候。
1、
長尾川の儀、竜爪山と申す高山険阻より流れ出で、大雨の節は一時の内に満水仕り、大木の根、茨、藪など押し流し候。甚だ荒れ川に御座候て、天気続き候えば、干川に罷り成り、往来自由に相成り候えども、少々雨続き候えば、左右越え場差し支え、急難の早川に御座候。
然る処、北沼上村地内字「段ケ鼻」と申す所にて、此の度穴六尺四方に掘り抜き、山表川幅九間、山裏川幅七間掘り割り仕るべき由、右段ケ鼻と申す辺、川幅四、五十間にも押し開き候川通りにて、別して川荒れ候場所に御座候処、川敷、堤敷潰れ地、並びにその地続き水腐れ場、又は旱損場出来、その上満水の節、しめ切り堤にて水溢れ、囲い堤押し切れ、如何様の水難に逢い申すべきや、はかり難く存じ奉り候。
1、
北沼上村の儀、山の敷長さ百六十間の内、穴六尺四方に掘り抜き、並びに藪敷長さ四十間、川幅九間に掘り割り、其の続き長さ九十間の内、川幅九間、両堤敷三間宛に築き上げ、瀬名村地内、長さ百十間の内 敷三間の通りしめ切り、堤相仕立て候由、左候えば、右山表川敷、両堤敷の内、並びに坂下川敷潰れ地、多分御座候。其の外右山表堤の上にて、田地高五十石余の場所、水吐け御座無く、水腐れ場に罷り成り、難儀至極に存じ奉り候。
1、
北沼上村の儀、近郷39ケ村山手御年貢相納め、薪、秣取り候入会山に御座候。然る処元禄2巳年山論御座候て、其の節御役人中様御越し遊ばされ、御見分の上、御奉行所様御尊判の、御裁許御絵図頂戴奉り候山に御座候処、此の度穴掘り抜き、長尾川浅畑沼へ切り落とし候えば、山穴開き川筋等も違い、第一御大切の御絵図面相違仕るべき段、その外穴掘り候ては、川筋も違い、末々山崩れ等も心もとなく、山手御年貢にも相障り申すべき儀、難儀至極に存じ奉り候。
1、
南沼上村の儀、此の度願人見立て候穴掘り抜きの場所、山表段ケ鼻と申す所より、山裏坂下と申す所へ掘り抜き、山裏穴口長さ百二間、川敷、堤敷共に幅十間通り、山表川敷両堤敷とも幅十五間、其の外坂下の谷にて田地一町八反歩余、用水元川敷に相成り、用水掛くべきよう一切御座無く、右川敷潰れ地同様、難儀至極に存じ奉り候。
右掘り割り仕る長尾川、沼地まで切り落とし候えば、荒川に御座候につき、満水の度々、石砂利押し出し、自然と川筋欠け
広がり、川添い御田地荒れ所に罷り成り申すべく候。
裏山耕地の儀は、則ちその谷々より出水御座候て、用水に仕り、田地作り立て来たり候処、新川筋窪地へ水引け、用水に仕り候出水留り、如何程旱損場出来申すべきや、是れまた難儀至極に存じ奉り候。
1、
南沼上村山裏、御田地高二百石余、年々植え付け仕り候てより、猪、鹿防ぎのため所々番屋を作り置き、夜毎面々罷り越し、漸く猪、鹿相防ぎ来たり候処、坂下耕地より川筋に相成り候えば、出水の節は、猪、鹿防ぎ候儀相成らず、荒れ作同様に罷り成り、其の外仕付け、耕作、刈り入れ等まで差し支え、御年貢御上納仕るべき儀、相成りかね候仕合に、罷り成り申すべき旨、惣百姓至つて相歎き候儀に御座候。
1、
南沼上村つき浅畑沼の儀は、山掘り抜き長尾川切り落とし侯えば、出水に随い沼押し埋め、御新田開発仕り度き段、願人申し上げ奉り候由。先達て御吟味の節、委細書付を以つて申し上げ奉り候とおり、数年来運上金相納め来り候当村控え猟場に御座候処、石、砂利等押し込み候ては、魚猟(漁)に相障るべき段、難儀至極に存じ奉り候。
1、
瀬名村地内長尾川しめ切り場所の儀は、川通り第一の水荒れ場所にて、川幅四、五十間程に、押し開き候場所に御座候。然る処、北沼上村、南沼上村右両村地内、川幅九間に掘り割り、北沼上村山敷、長さ百六十間の内、穴六尺四方掘り抜き、瀬名村地内、長さ百十間しわ切り、堤相仕立て候由、左候えば、右荒川急満水の節、山穴並びにしめ切り堤へ、竹木等流れ掛り、水溢れ村上地高なる場所にて、必定瀬名村囲い堤押し切れ、田畑は勿論、家居流出、人馬流死等、いか程の水難に逢い申すべきや、難儀至極に存じ奉り候。
1、
瀬名村田地用水の儀、出湧き川と申す湧き水を以つて、御田地用水に仕来り、並びに弁才天池水の流れ、用水に仕り侯処、願人の目論見のとおり山掘り抜き、殊に只今までの川敷より二、三尺も深く掘り、大きに地窪なる浅畑沼へ、長尾川を切り落とし候えば、出湧き川への水筋違い候故、湧き水も留り、田地旱損場に罷り成り申し候。その外井戸水等にも相障り候儀、多分御座候て、難儀至極に存じ奉り候。
1、
瀬名村地内しめ切り堤より下、この上旱あがりに相成り候はば、川敷、堤敷共に御新田開発仕り度き段、願人申し上げ奉り候由、この川通りの儀、両縁りに百姓家居御座候て、堤に生い立ち候竹木、満水の節は川除け防ぎに相用い、その外用水溝、悪水溝等川欠け普請、しがら笹に仕来り候。
川原の儀は、稲干場並びに柴、薪、飼い葉等、干し場に仕り、その外年中用立て候儀ども、多分に御座候処、数代住み馴れ候百姓、有り来り候川原に相離れ、剰え村方相隔たり申すべき段、難儀至極に存じ奉り候。
1、
瀬名川村の儀は、前々より弁才天池水の流れ、並びに出湧き川を以つて、田地用水仕来り候処、此の度、北沼上村地内、字段ケ鼻、山掘り抜き、長尾川浅畑沼へ切り落とし候えば、水筋違い、瀬名村出湧き川留り、当村田地残らず旱損場に罷り成り、難儀至極に存じ奉り候。
且つまた長尾川瀬名村上にてしめ切り、堤仕立て、当時水四分六分に振り分け通したき由、左候えば大雨洪水の節、右掘り抜き穴、並びにしめ切り堤へ、竹木相掛り侯えば、必定瀬名村へ押し切れ申すべく候。
当村の儀、瀬名村地続きにて、地窪の村方に候えば、御田地川成り、水腐れ仕り、其の上宮寺並びに惣百姓、家居流出仕るべき段、甚だ難儀至極に存じ奉り候。
1、
鳥坂村の儀は前々より、瀬名村弁財天池水流、並びに出水を以つて、田地用水仕来り候処、此の度北沼上村地内、字段ケ鼻にて山掘り抜き、長尾川を浅畑沼へ切り落とし候えば、水筋違い、瀬名村出水留り、当村田地旱損場に罷り成り、難儀至極に存じ奉り候。
且つまた瀬名村上にて、地高の処しめ切り、堤仕立て、右川四分六分に振り分け、水通したき由、願人これを申し候。左候えば、大雨洪水の節、右掘り抜き穴、並びにしめ切り堤へ、竹木流れ掛り候えば、必定瀬名村へ押し切れ申すべく候。さ候えば、地窪なる当村田地、川成り、水腐れ仕り、甚だ難儀至極に存じ奉り候。
右の趣これにより願い上げ奉り候。訳聞こし召され、何とぞ格別の御憐愍を以つて、山掘り抜きの儀、御免成し下され候よう、願い上げ奉り候。
最初願人方より、差し障り有無の儀、相尋ね候節も、書付、印形仕り、願人方へ差し出し候とおり、5ケ村大いに困窮の儀に御座候。これに依り掘り割りの儀、5ケ村惣百姓一同得心仕らず候。何とぞ御慈悲を以つて、右掘り抜き一件、御免成し下され、これ迄のとおり、百姓相続相成り候よう、偏に御慈悲願い上げ奉り候。以上。
松平豊後守領分
駿州安倍郡南沼上村
右五ケ村 惣代組頭佐兵衛
大久保玄蕃知行所
同州庵原郡瀬名村
右同断 名主雄右衛門
松平豊後守領分
同州同郡瀬名川村
右同断 名主新五兵衛
御 奉 行 所 様
天明2年寅極月
柴村藤三郎様御役所へ召し呼ばれ、願人と熟談仕り候よう、仰せ渡され候。以上。
天明3卯2月5日、柴村藤三郎様御役所へ御呼び出し、仰せ聞かされ候儀は、願人試しに穴掘り抜き、四分六分に水通したき由、試みに仕り候儀如何候や、御尋ね遊ばされ候。村々難儀の由申し上げ候えば、明後7日、又々罷り出申すべき段、仰せ渡され、帰村仕り候。
(原本瀬名川桜井本家蔵)