新川掘り替え芝地開発願い、度々御吟味一件
覚
1、
51年以前享保11年、駿府御代官小林又左衛門様御役所へ召し呼ばれ、仰せ渡され候は、江戸亀島町善右衛門、平右衛門、伊兵衛と申す者、浅畑沼廻り新田開発の儀、願いの通り仰せ付けられ候処、右沼の水吐け、巴川の内長尾川落合いにて、水吐け悪しく、水いかり候に付き、長尾川の上「一の瀬」と申す所より、瀬名村、瀬名川村、鳥坂村の地内に、新川掘り違え仕り度き旨、御願い申し上げ侯由、右願いの通り新川掘り候ても、3ケ村難儀の筋これ無きやと、右3ケ村の者共へ、御尋ね遊ばされ候に付き、申し上げ候は、新川の地所3ケ村の村上、地高の場所に御座候間、満水にて堤切れ候えば、3ケ村残らず水腐れ仕るべく候。
長尾川山川にて、例年大雨の節は一時に出水仕り、堤度々切れ申し候。さり乍ら、本川通りは村下にて、川筋地窪に御座候間、唯今までは堤度々切れ申し候えども、一面水も仕らず候。今度地高の場所へ新川掘り替え、満水の節、村上にて堤切
れ申し候はば、3ケ村水込みに
罷り成り、家屋敷まで流れ申すべく候。其の上瀬名村の儀は、新川敷に相当り申し候百姓家居これ有り、古来より大切に存じ罷りあり候田地に離れ、其の外難儀の儀数多ご座候に付き、度々御願い申し上げ候所、又左衛門様御意遊ばされ候は、3ケ村の者少しも難儀に相成らざる様にいたし、有り来り候士井堤より、普請も丈夫に申し付け、潰れ地の儀は、其方共存分に代地遣すべく候。其の上新川不成就の儀これ有り候はば、その為右請負人共、並びに金元神沢清助方より、金三百両取り置き候。この金子を以つて、元の通り埋めさせ下さるべき旨、仰せ付けられ候得ども、地所の様子とくと御聞き届け下されず候間、度々御願い申し上げ候得ば、又左衛門様仰せ聞かされ候は、新川掘り替え入用金、凡そ二、三千両も相掛り候儀、江戸表へも申し上げ置き候間、中々急に仰せ付けられ候儀はこれ無く候。たとい仰せ付け候とも、百姓難儀に罷り成らず候ように遊ばされ下さるべき旨、御懇に仰せ渡され、江戸へ罷り下り候儀、御差し留め遊ばされ候に付き、有難く存じ奉り、差し控え罷り在り候処、翌未3月新川掘敷に相当り候地所、負請人共方へ相渡すべく候。潰れ地代地は、追つて御渡し遊ばさるべく候。並びに潰れ地作代、願人方より差し出させ候間、普請相障り申さざる様仕るべきの旨、筧播磨守様より仰せ渡され候由、地頭より申され候に付き、早々江戸表へ罷り下り、地所の様子、並びに村方末々まで難儀の段、御願い申し上げ候えども、新川の儀一旦仰せ付けられ候儀故、御訴訟相叶い申さず候旨、御奉行様方御立ち合いにて、仰せ渡され候。
新川潰れ地代相渡さず候うちは、潰れ地年貢、作徳米何ケ年分なりとも、負請人方よりきつと相渡させ候。寺院方五ケ寺通路橋も、丈夫に申し付け候。橋代にてなりとも受け取るべく候。其の外川敷に当り候百姓家引き料、これ又願人方より相渡させ候。堤の儀は古堤の通り、普請丈夫に申し付け候。新川不成就に候えば、敷金を以つて、元の通り埋め返えさせ候。然る上は、其の方共願い存分に候間、罷り帰り、新川地所負請人へ相渡すべき旨、播磨守様仰せ渡され、私共差し上げ申し候訴状へ、御附紙遊ばされ、下され候間、是非なく罷り帰り、地所清助へ相渡し申し候。
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同13日申年12月より、新川掘り候に付き、川敷に当り申し候瀬名村百姓21軒、所々へ引き越し、無住の寺1ケ寺亡所に罷り成り申し候。家引き料金積りを以つて、右清助へ催促仕り候えども、難渋仕り候に付、駿府御代官会田伊右衛門様へ、度々御願い申し上げ、漸く金二十四両三分受け取り申し候間、引き料半分にも届き申さず、其の節の難儀、言語に絶し候仕合いに御座候。
3ケ村潰れ地年貢、作徳米申年分、1ケ年は願人より受け取り申し候。新川の儀も、翌酉の春までに、漸く川縁りの形ばかりつけ置き、普請出来に付き、川口切り開け候旨、願人共申し候間、左候はば、忽ち水溢れ、堤押し破れ候儀、目前に御座候間、留め置き会田伊右衛門様へ御願い申し上げ候処、御直に御見分遊ばされ、まだ負請中半にも出来これ無き川口、切り開け候儀、願人共不埒の旨、御叱り遊ばすれ、古堤のとおり丈夫に、普請仕るべき旨仰せ付けられ、この段江戸表へも仰せ上げ置かれ候段、仰せ渡され候。然れども金元差し支え候や、右のままにてべんべんと捨て置き申し候。
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同14酉9月、浅畑沼廻り水腐れ村方18ケ村、並びに瀬名村、瀬名川村、鳥坂村の者共、会田伊右衛門様御役所へ召し呼ばれ、川普請丈夫に出来候や、川口切り開け、水通し候ても苦しからず候や、江戸表より新川へ水切り込み候ように仕るべき旨、仰せ遣わされ候由、仰せ渡され候に付き、3ケ村の者ども、申し上げ候は、先達て御見分遊ばされ候節のまゝにて、其の後普請仕らず候間、水切り込み候儀、御免下され候ように、達て御願い申し上げ候処、駿府御代官所にて、相済み申さず、是非なく江戸表へ罷り下り、右普請の様子、委細に書付に仕り、御検使様へ遣わされ下され候ようにと、筧播磨守様へ御願い申し上げ候処、御聞き届け遊ばされ、委細願いの通り、駿府御代官所へ、仰せ遣わされ候旨、仰せ付けられ、罷り帰り申し候。
駿府御代官御代り、山田治右衛門様御出で遊ばされ、委細御見分の上、新川掘り候ても、巴川水吐けのために、罷り成らず
候儀相顕われ、長尾川落合いの洲浚い、先規の通り仰せ付けられ、洲浚い仕り候得ば、浅畑沼水吐け引きよく罷り成り、水腐れの村方、水難相遁れ申し候。
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右新川潰れ地、年貢作徳米申年1ヶ年分は、願人清助方より、受け取り申し候えども、酉年よりの分、度々催促仕り候え共、難渋仕り候に付き、駿府御代官所へ数度御願い申し上げ候えども、一切差し出し申さず、難儀至極仕り候。
然る処享保17子年3月、御地頭役人御奉行所へ召され、新川御不用に罷り成り候間、新川潰れ地相返し、年貢作徳米滞り無く相済し候よう、請負人清助へ仰せ付けられ候間、地所百姓共請(受)け取り候よう仕るべき段、筧播磨守様より、八木清五郎様を以つて、仰せ渡され候由、御地頭より申し渡され候えども、右潰れ地掘り散らし候まゝにて、受け取り申し候儀、難儀に存じ奉り候。
右地所最初仰せ付けられ候には、たとえ新川不成就、御不用に相成り候とも、請負人共より敷金差し上げ置き候に付き、敷金を以つて埋立たせ下し置かれ候旨、仰せ付けられ候。
酉年以来年々潰れ地無毛の場所にて、御伝馬役、国役等相勤め、其の上度々御訴訟に罷り出候路用等、其の外夥しき物入りにて、3ケ村困窮至極仕り候間、請負人方より埋め返し候よう、仰せ付け下し置かれ候ようにと、又々江戸表へ罷り下り、
筧播磨守様へ御願い申し上げ候処、清助儀路頭に立ち候
躰に罷り成り、右敷金は新田、新川等の入用に相成り、金子これ無く候。右埋め代の心に、浅畑沼廻り新田の内、高六十石下し置かれ候段、仰せ付けられ候えども、至つて水腐れ場所、高掛り引き受け、殊に隔り候場所故、御願い申し上げ、受け取り申さず候。
年貢作徳米の儀は、滞り無く差し出し候様、請負人へ仰せ付けられ候旨、仰せ渡され候に付き、是非なく罷り帰り、新川敷掘り散らし候まゝにて、受け取り申し候。
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右年貢、作徳米差し滞り候に付き、山田治右衛門様へ、数度御願い申し上げ候えども、請負人清助我が儘ばかり申し、難渋仕り候に付き、享保18丑年4月、又々江戸表へ罷り下り、御奉行様へ御願い申し上げ候えば、委細の儀、山田治右衛門様へ仰せ遣わされ候に付き、願いの趣駿府に於いて仰せ付け候旨、筧播磨守様より山田治右衛門様への、御状御渡し遊ばされ候に付き、帰国仕り、駿府御代官所へ差し上げ申し候処、右子年御願い申し上げ候節、播磨守様御意遊ばされ候通り、清助儀路頭に立ち候躰に罷り成り候間、追々受け取り候よう、仕るべきの旨、仰せ渡され候。
然る処、同6月中播磨守様へ、御地頭役人召され仰せ渡され候は、百姓共新川潰れ地埋め返し候よう、相願い候えども、請負人共不埒致すべき様これ無き間、浅畑沼廻り新田六十石、相渡すべく候。埋め代の心に存ずべく候。年貢、作徳米の儀は、酉年より丑年まで5ケ年分、合米九百十五俵五合、寅年より亥年まで、10ケ年賦に仰せ付けられ候由、御地頭より申し渡され候に付き、清助方より証文取り置き申し候。
新田六十石の儀は、前書に申し上げ候通り、却つて難儀に罷り成り候場所に付き、御受け仕らず候。右年賦に罷り成り候ても、駿府御代官所へ数度罷り出で、御願い申し上げ候えども、相済し申さず候。
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享保21辰年4月、駿府御代官永井弥次郎様より、仰せ渡され候は、浅畑沼廻り古田と新田と、地境立て申し度き旨、神沢清助願いに付き、仰せ付けられ候由、かつ又、瀬名村芝地の儀、今度古田、新田の境相立て候よう、仕り度き旨願い上げ候
に付き、江戸表へ御伺い遊ばされ候由、然る上は、願人清助へ熟 談仕り、境相立て候よう仕るべき旨、若し不分明の境相立て、願人不得心にて地押し願い奉り候はば、地押し仰せらるべきや、先達て沼廻り熟談仕り、地境相立て申し候間、瀬名村分も熟談仕り、相調べ申し候よう仕るべき旨、御公儀様より仰せ出され候由、御書付を以つて、御地頭へ仰せ渡され、地頭より申し渡され候に付き、右弥次郎様御役所へ罷り出て、御吟味を受け奉り候処、願人古芝地境相立て申したき旨、芝地と見立て御願い申し上げ候場所は、瀬名村古田畑、川成り場所の儀に相聞こえ候。これに依り、右芝地の訳委細書付けに
仕り、尤も浅畑沼廻り新田へは、山川を隔て候 趣、絵図面差し添え、弥次郎様御役所へ差し上げ申し候処、御吟味の上、
右沼廻り新田と、地続きの様に申し立て候えども、場所隔り候儀も相分り、芝地の儀も古田畑川成り跡の段、申し
披き相立ち、境相立て候儀、並びに地押しの儀も、御免遊ばされ候。
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元文5申年、右清助又ぞろ新川並びに芝地新開の儀、御願い仕り候由にて、永井弥次郎様へ3ケ村召し呼ばれ、仰せ渡され候は、5年以前相済み候儀ながら、江戸表より仰せ遣わされ候儀故、又ぞろ御吟味遊ばされ候旨にて、御吟味御座候に付き、前々の儀申し立て置き、是非なく江戸表へ罷り下り、段々村々困窮仕り候趣、牧野越中守様へ御訴訟申し上げ候処、一々御吟味の上、越中守様御意遊ばされ候は、前々御不用に相成り候新川芝地の儀、請負人又ぞろ相願い候段、殊に新川潰れ地年貢、作徳米年賦等も相済まず候儀、我が儘なる願い、吟味を遂げ遣すべく候えども、新田御用掛りに付き、右訴状神尾若狭守様へ、御引渡し遊ばされ候間、若狭守様へ御願い申し上ぐべき旨、仰せ付けられ、早速若狭守様へ罷り出候処、御吟味の上、願いの趣御聞き届け遊ばされ、願人清助私共一同に召し出され、新川掘り違え、並びに芝地開発の儀相止め、御不用に罷り成り候旨、仰せ付けられ、済口証文へ私共印形、御取り遊ばされ候。其の砌御願い申し上げ候は、前々より新川並びに芝地開発等の願い、数度出訴仕り、村方困窮至極仕り候間、御慈悲に御墨付頂戴奉り仕り度き段、願い奉り候処、済口証文へ其の方ども印形取り置き候間、何方より願人これ有り候とも、其の趣申し立て候えば、相済み申し候旨、御内寄り合い御列座にて、若狭守様仰せ渡され候。且つ又年賦滞米一切差し出さず、不届き至極に候旨、清助を御叱り遊ばされ、年賦御切り替え、7年賦仰せ付けられ候段、有り難き仕合せせに存じ奉り、帰国仕り候。
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寛保2戌年駿府通町太兵衛、同安東村茂左衛門と申す者、右新川掘り割りの儀、御願い申し上げ候由、御代官永井弥次郎様御役所へ、度々3ケ村召し呼ばれ、御吟味遊ばされ候に付き、前々の趣、委細書付けを以つて申し上げ置き、早速江戸表へ罷り下り、右の趣、神尾若狭守様へ御願い申し上げ候処、3年以前右の通り、御取り上げ遊ばされず候御儀故、右願人両人御差し留め遊ばされ、其の上神沢清助召し出され、きつと御叱り遊ばされ、年賦滞り米、5年賦御切り替え仰せ付けられ候。
これ迄段々御吟味の上、仰せ付けられ候えども、右年賦米一向相済し申さず候処、この度両度に米十五俵漸く受け取り申し候。其の後又々難渋仕り、一切相済し申さず候。右願人太兵衛茂左衛門、御願い申し上げ候も、清助名目にては、御取り上げ御座無く候に付き、内々にては清助願いに候えども、右の通り両人の名題出し申し候儀と、相見え申し候。とにかく度々願い出で、3ケ村甚だ難儀仕り候。
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宝暦4戌年12月中、右清助御願い申し上げ候由にて、御普請御役松井唯八郎様、谷十次郎様、並びに御代官大屋杢之助様御手代衆附き添い、長尾川通り並びに新川掘り跡通り、御見分遊ばされ候。翌亥2月、杢之助様御役所へ召し呼ばれ、谷十次郎様、並びに御手代衆川村久内様、吉田丈助様御立会い、御吟味遊ばされ候に付き、右新川初発よりの件、並びに芝地の儀、前々御訴訟申し上げ、御不用に仰せ付けられ候趣、委細書き付け差し上げ奉り、右元文5申年御裁許の節、御内寄せ会い御列座にて、神尾若狭守様仰せ渡され候趣、委細に申し上げ候。なお又芝地の儀、訴状相認め、松井唯八郎様、谷十次郎様へ、差し上げ申し候。
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同6子年11月、又ぞろ新川願人御座候由、大屋杢之助様御役所へ、3ケ村召し呼ばれ、御掛り御手代川村久内様、奥津半助様、御吟味遊ばされ候処、入り組み候儀故、口上にて申し上げ難きに付き、願人御願い申し上げ候趣、書付けを以ち、一々御答え申し上げ候処、なお又御吟味遊ばされ、私共差し上げ申し候返答書の奥へ、奥書遊ばされ、印形御取り遊ばされ候。
同7丑年3月、御代官小川新右衛門様御役所へ、3ケ村召し呼ばれ、仰せ渡され候は、神沢清助跡株、安五郎後見、武州矢上村喜右衛門、江戸白金猿町妙玄院、新川並びに芝地新開の儀、江戸表にて御願い申し上げ候由、右御吟味の儀、御奉行様より仰せ遣わされ候由、御吟味遊ばされ候。
新川の儀は、去年其方ども差し出し候書付け等、此方にこれ有り候や、去年御吟味につき差し上げ候訴状の通り、相違御座無く候。なお又、当年御尋ねにつき、お答え印形仕り、差し上げ申し候段、奥書御認め、村々印形御取り遊ばされ候て、新川の儀は相済み、其の後当年迄、御沙汰も御座無く候。かつ又瀬名村芝地の儀、絵図面を以つて願い上げ候間、委細御答え申すべき旨、仰せ渡され候処、其の節往還御役、人馬願いの儀につき、助郷惣(総)代として、名主江戸表へ罷り下り留守故、其の段御断り申し上げ候処、先ずまず一と通りの御答申し上げ侯よう、仰せ付けられ候につき、これ迄願人度々御座候えども、御吟味の上、村方願いの通り御不用に仰せ付けられ候委細、訴状相認め、組頭、百姓代印形仕り、差し上げ申し候。
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同8寅年3月中、御代官宮村孫左衛門様へ、芝地の儀につき、度々瀬名村の者共召し呼ばれ、去年双方より差し上げ候願書等、先御代官所より御引き渡しの由、村方並びに願人共、日々召し出され、御吟味の上、同4月中御手代衆、瀬名村へ度々御出、明細御見分遊ばされ、其の上委細の儀、細田丹波守様仰せ上げられ、其の内御下知次第、双方共御呼び出し遊ばさるべき旨、仰せ渡され候。左候えども、其の後5月、6月までも、帳面、書き物等、其の外種々御尋ね遊ばされ候。
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6月下旬より、瀬名村名主、組頭、江戸表へ罷り下り、芝地新開仰せ付けられ候ては、古田養い刈敷、秣 場ご座無き村方、大難儀、且つ又前々より御不用に仰せ付けられ候儀、殊に元文5申年、神尾若狭守様御墨付頂戴致したき段、御願い申し上げ候節、御奉行様方御列座にて、若狭守様仰せ渡され候儀、委細願書相認め、7月上旬、細田丹波守様へ、御訴訟申し
上げ候処、度々召し出され、水 帳その外村絵図、書き物等御尋ね、御吟味遊ばされ、其の上、右書き物等は上ぎ置き、検見時分にも罷り成り侯間、帰村仰せ付けられ候。
追つて御沙汰に及ばるべき旨、仰せ渡され、8月下旬帰国仕り候処、又ぞろ10月上旬、丹波守様へ召し呼ばれ、右上げ置き候帳面、書き物等、御返し遊ばされ、御見分のため、御普請御役野村喜惣八様、内藤源八様、遣わさるべき旨仰せ渡され、帰宅仕り候。
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同11月、右御普請役様府中御着き遊ばされ、それより上土へ御止宿御極り御移り遊ばされ、度々瀬名村へ御越し遊ばされ、明細御見分遊ばされ、翌卯2月下旬、江戸へ御出立、御帰府遊ばされ候。
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同9卯年4月、瀬名村より江戸表へ罷り下り、一色安芸守様へ御訴訟申し上げ候は、去る去る丑年より寅春中迄、駿府御代官所へ召し呼ばれとく御吟味、去る6月中より江戸表へ罷り下り、細田丹波守様へ御訴訟申し上げ候処、前書申し上げ候通り、御見分のため、御普請役様方御出で遊ばされ、古田畑見取り場、芝地、藪、林等まで、委細絵図面を以つて申し上げ候
処、明細御見分遊ばされ、其の上右芝地等、御新田開発に仰せ付けられ候とも、難渋仕る間敷
きの旨、口書、印形取り遊ばされ、差し上げ候えども、右秣場芝地、御新田に仰せ付けられ候ては、田畑養い仕るべき秣場一向御座無く、その上馬持ち立ち申すべき手便これ無く、江尻宿助郷御役、相勤め難し。
唯今どおりの秣場にても、古田畑こやしに相届かず、荒れ作のよう罷り成り候処、開発に相成り候ては、退転仕り候より外御座無く、難儀至極仕り候段、恐れ乍らわけ聞こし召され、先規の通り御不用に成し下し置かれ候よう、又ぞろ其の節罷り下り、委細書付を以つて、御訴訟申し上げ候。
此の外願人、前度新川潰れ地年貢、作徳米相滞り、年賦切替え仰せ付けられ候ても、相滞り、あまつさえ大分の空地、芝地これ有り候などと、大きなる偽りばかり申し上げ、かれこれ村方へ夥しき損毛かけ、困窮仕らせ候。
前書申し上げ候とおり、新川芝地御不用に仰せ付けなされ、下し置かれ候わけ、これ又先年より数度、江戸表への往来路用等夥しく相掛り、駿府御代官様へも、数年の間度々召し呼ばれ、数日相詰め、その上御見分中4ケ月程の間、昼夜大勢寄り集り、絵図、帳面等仕立て申し候につき、甚だ入用相掛り、段々行き詰り、潰れ百姓多く、耕作等仕り難き躰、困窮至極、最早道中御伝馬役も、相勤まり申さざる程の儀に御座候段、委細書付を以つて御訴訟申し上げ候処、度々召し出され、安芸守様にて、御留役各務伝五郎様、一々御吟味御尋ね遊ばされ、口書、印形取り遊ばされ、追つて御沙汰に及ばるべき旨仰せ渡され、同6月中旬帰国仰せ付けられ、有難き仕合せに存じ奉り、帰村仕り候。
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宝暦10辰年9月18日、宮村孫左衛門様御役所へ召し呼ばれ、一色安芸守様よりの御召状御渡し、来る21日迄に江戸着、21日にきつと御届け申し上げ候様、仰せ渡され候につき、直ちに18日夜出立、21日江戸着、安芸守様へ御届け罷り出候処、近日呼び出すべく候間、それ迄宿に差し控え申すべき旨、仰せ付けられ候。
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同9月26日、安芸守様より私共召され、明27日九ツ時罷り出ずべき旨、御差し紙を以つて、宿へ仰せ付けられ、則ち27日罷り出候処、申し人武州矢上村喜右衛門、並びに同村名主、組頭、右御地頭松平喜平様御内、御役人高木金五様、相州公卿村名主、組頭、同村御地頭松平大和守様御内、御役人三浦仲様、江戸南伝馬町右安五郎主人七郎兵衛、同町名主、家主、五人組、同白金猿町妙玄院の法類曹漢寺、宮村弥左衛門様御手代、庄司文四郎様、右残らず私共一同に召し出され、御留役各務伝五郎様、郷坂孫三郎様御列座にて、安芸守様御書付を以つて、仰せ渡され候。御裁許の趣、別紙書付差し上げ奉り候とおりに御座候。
右のとおり数年の間、新川掘り替え願い、並びに芝地新田開発願い人御座候て、3ケ村年々のように、駿府御代官所へ数度召し呼ばれ、とく御吟味、江戸表へも度々御訴訟に罷り下り、殊に新川潰れ地御年貢、作徳米、今以つて相滞り、難儀至極に存じ奉り候。此の段御願い申し上げたく存じ奉り、罷りあり候処、困窮の村方路用等に差し支え、1日1日と相延し、是れまで差し置き申し候。
前書に申し上げ奉り候とおり、新川芝地の儀、先々より願人出訴仕り候処、其の節々御訴訟申し上げ、私共願いの通り、御不用に仰せ付けなされ候御儀、近年は願人取り沙汰もこれなく候処、又ぞろ此の度、右願人出訴仕り候段、存じ寄らざる儀、3ケ村惣(総)百姓、何分得心仕らず候儀、これに依り先達て差し障り候わけ、別紙を以つて申し上げ候えども、なお又、今度左に申し上げ奉り候。
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鳥坂村申し上げ奉り候。前々より瀬名村弁才天池水、並びに池外出水共に、鳥坂村用水に御座候処、新川掘り替え川筋に相
成り候ては、御田地用水一向御座無く、甚だ難儀至極に存じ奉り候。先達て申し上げ候とおり、御田地中新川掘り替え候ては、堤外南は少々出水にても、大いに水湛え場に相成り、堤外北は用水一向御座無く、早損場に相成り、其の上出水の節は堤押し切れ、田地荒れ申すべく、難儀至極に存じ奉り候。第一用水御座無く侯ては、御田地の養い手入れ、耕作等相成らず、惣百姓渇命に及ぶべく、大難儀至極に存じ奉り候。
御田地中新川掘り替え候ては、ますます逆水満水にて、田畑水腐れ仕るべく、難儀至極に存じ奉り、惣百姓何分得心仕らず候。これに依り願い上げ奉り候は、何とぞ御憐愍、御慈悲を以つて、新川の儀、先規のとおり御不用に成し下し、置かれ候よう、偏に願い上げ奉り候。
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瀬名川村の儀は、一体地窪の村方に御座候えば、雨天の節は農業相成らず候故、田地養いの草刈りに、長尾山へ参り候。新川瀬違え仰せ付けられ候ては、草刈り道御座無く、難儀至極に存じ奉り候。先達ても申し上げ奉り候とおり、小山の下、曲尺の手の所にて出水の節は、堤押し切れ申すべく、御田地へ石、砂利押し出し、川成り水腐れ仕るべく存じ奉り侯。その上居村まで水先に相成り、住居もなり難く、大難儀至極に存じ奉り候。
新川落合、石、砂利押し出し候えば、少々の出水の節も、悪水吐けきらず水湛え候間、水腐れ仕るべしと、難儀至極に存じ奉り候。これに依り恐れ乍ら、新川掘り替えの儀は、御不用に成し下され候よう、惣百姓一統願い上げ奉り候。
1、
瀬名村申し上げ奉り侯。此の度新川掘り替えの儀、先達ても申し上げ奉り候とおり、山の根通りは、地高の場所、荒川引きうけ候はば、満水の節は堤押し切れ、村中川成り仕るべしと、難儀千万に存じ奉り候。殊に川下にては、御田地真中川筋に相成り、新川掘り通し候ては、用水かけ引き相成らざる場所、これ有り候。その外、古川通りも水筋違い候ては、早損場出来申すべく候。
総じて当村田地は、出湧川用水に仕り候場所にて、水筋違い、出湧き留り候はば、田地過半用水これ有る間敷く候。且つ又秣場、芝地の儀、前々より申し上げ候とおり、村付きの野山御座無く、殊に山の柴草、土地に合い申さず、右芝地秣場に仕り、村中の田地肥しに刈り来たり申し候。右芝地に相離れ候ては、田地養い秣取り場、一切御座無く候に付き、惣百姓得心仕らず、願人へ相渡し申す儀、相成らず候。何分御慈悲を以つて、先規のとおり、御不用に成し下し置かれ候よう、幾重にも願い上げ奉り候。
右のとおりこれ迄50ケ年以来、度々召し出され、御吟味成し下され候趣、又ぞろ此の度御吟味につき、御願い書差し上げ申す所、かくの如くに御座候。
右数ケ年御吟味の度毎、御願い相叶い、御不用に相成り候儀、又ぞろ此の度、再 応御吟味御座候えども、毎度御願い申し上げ奉り候趣にて、困窮の百姓、度々江戸表往来仕り候て、御願い申し上げ候儀、至つて難儀千万に存じ奉り候。何とぞ御憐愍、御慈悲を以つて、願いのとおり御不用に仰せ付けなされ、下し置かれ候よう、幾重にも御願い申し上げ奉り候。以上。
安永5年申6月
瀬名村
名主
同
組頭
同
同
同
同
同
百姓代
同
瀬名川村
名主
同断
組頭
百姓代
瀬名川村
名主
組頭
組頭
百姓代
鳥坂村
名主
組頭
惣 太 夫
仁左衛門
半右衛門
半左衛門
孫 平 次
雄右衛門
吉左衛門
喜 平 次
惣 三 郎
彦 八
平右衛門
常右衛門
長左衛門
五左衛門
小右衛門
嘉右衛門
佐次兵衛
源右衛門
久左衛門
忠 次 郎
御普請御役元締め
松井官兵衛様
御普請御役
門奈彦右衛門様
瀬名川村本家
安永5年申6月7日 桜井新五左衛門これを写し控置く。
新 川 一 件 書 留 帳
附たり安永8亥8月願人共御請け書差し上げ候写し。
新川芝地御不用仰せ付けられ候書付の写し。
天明元丑9月北沼上村山穴掘り抜き一件。
御普請役様より御尋ね御座候答。
瀬名川村
1、
潰れ地高
高二十九石一斗
清助年賦米証文これ有り候分5ケ年分
米三百六十一俵一斗
内二百十六俵六斗
内百四十四俵二斗九升五合
覚
1、
御普請役元締め 御普請役
松井官兵衛様、門奈道右衛門様より御用御書付、その文にいわく、
巴川通り新川掘り替えの場所、明7日案内致さるべく候。名主、組頭、百姓代印形持参、二ッ宮前まで罷り出らるべく候。其の節此の書付相返さるべく候。以上。
申6月6日
1、
6月7日二ッ宮にて口書御認め、印形御取り遊ばされ候。則ち瀬名川地境並びに小山瀬名村地境まで、御案内仕り候事。
1、
二ッ宮にて仰せ付けられ候。新川掘り替え候ては差し障り有無や否や、書付を以つて申し上ぐべき旨、仰せ付けられ候。翌日8日上土新田、平吉宅御旅宿まで罷り出で、書付差し上げ申し候。その文面にいわく、
1、
此の度長尾川掘り替え、新川通りの場所御見分遊ばされ、御案内仕り候処、新川掘り候ては、村方差し障りに相成り候や否や、有無書付を以つて申し上ぐべき旨、仰せ聞かされ、承知畏れ奉り候。左に申し上げ奉り候。
1、
当村御田地新川掘り替え候ては、堤外南は少々の出水にても、大いに水湛え場に相成り、堤外北は、用水一向御座無く、旱損場に相成り、其の上出水の節、堤押し切れ、御田地荒れ申すべく、難儀至極に存じ奉り候。第一用水御座無く候ては、御田地養い、手入れ、耕作等も相成らず、村方退転に及ぶべく、難儀至極に存じ奉り候。
右の趣、訳聞こし召され、新川掘り替えの儀、何分御赦免成し下さるよう、御慈悲の御意、幾重にも願い上げ奉り候。以上。
安永5年申6月8日
松井 官兵衛様
門奈 道右衛門様
同6月12日御呼び出し、差し上げ申し候下書き、
但し御免五ツ二分取り、田畑屋敷共同免、右の内御検見にて御引き方御座候。尤も豊凶にて高下御座候。
外
1、高三石六斗
1、高一石五斗
1、高二石八斗八升
三口高七石九斗八升
御除地
御除地
御除地大福寺領
妙立寺領
浅間領
右御除地の儀、水帳の通り相違御座無く候。
外
酉改め出し
酉年の儀年久しき儀故、
何年に相成り候や、存じ奉らず候。
1、屋敷一反三畝六歩
取り米五斗二升八合
1、畑三反三畝十五歩
取り米五斗二升九合
見取り
但し反四斗取り
酉改め出し 右同断
見取り
但し反 一斗五升八合取り
右見取りの儀、地頭御免状に御座候通り、相違御座無く候。
外
これは長尾村、北沼上村両村へ相納め申し候。
右の通り相違御座無く候。高反別の儀は、御水帳に相分り候。御披見に入れ奉り候。見取りの儀は、御地頭御免状の通りに御座候。則ち御免状御披見に入れ奉り候。恐れ乍ら、御覧成し下さるべく候。右の外芝地一切御座無く候。以上。
安永5年申6月8日
名主
組頭
同
百姓代
久左衛門
忠次郎
清 八
半兵衛
同6月12日、享保11午年より、新川並びに瀬名村芝地とも、数ケ度の書付別帳に記録仕り、差し上げ、その奥へ此の度一ケ条認め、差し上げ申し候。その文に曰く、
1、
鳥坂村申し上げ奉り候。前々より瀬名村弁才天池水、並びに池外出水、鳥坂村用水に御座候処、新川掘り替え、川筋に相成り候て、御田地用水一向御座無く、甚だ難儀至極に存じ奉り候。先達て申し上げ奉り候通り、御田地中新川掘り替え候ては、堤外南は、少々の出水にても大いに水湛え場 相成り、堤外北は、用水一向御座無く、旱損場に相成り、其の上出水の節は、堤押し切れ、御田地荒れ申すべく、難儀至極に存じ奉り候。
第一用水御座無く候ては、御田地養い、手入れ、耕作等相成らず、百姓渇命に及ぶべく、大難儀至極に存じ奉り候。御田地中新川掘り替え侯ては、ますます逆水満水にて、田畑水腐れ仕るべく、難儀至極に存じ奉り、惣百姓得心仕らず候。これにより願い上げ奉り候は、何とぞ御慈悲、御憐愍を以つて、新川の儀先規の通り、御不用に成し下し置かれ候よう、偏に願い上げ奉り候。以上。
鳥坂村
名主、組頭、百姓代
瀬名村
右同断
瀬名川村
右同断