新川掘り違え、並びに去る酉年より丑年迄、5ケ年分潰れ地、作徳代、年賦米滞りの願い。
松平源之助領分
駿河国庵原郡の内
鳥坂村
惣百姓
同人領分
同国同郡の内
瀬名川村
惣百姓
大久保玄蕃知行所
同国同郡の内
瀬名村
惣百姓
同人知行所
同国同郡の内
瀬名川村
惣百姓
相手
江戸芝猿町請負人
神沢清助
 駿河国安倍郡浅畑沼廻り新田、請負人神沢清助、右3ケ村田畑の内、先年新川掘り掛け置き申し候間、この度掘り割り申し度き旨、駿府御代官永井弥次郎様へ、出訴仕り候由にて、去る6月より私共度々召し呼ばれ、差し障り候儀は御座無きや、瀬名村には芝地も御座候ように、度々お尋ね遊ばされ候。右掘り掛け候新川の儀は、不成就の場所故、御吟味の上、9ケ年以前、御公儀様不用に仰せ付けられ、川床として荒し候場所、漸く近年まで、起し立て申し候処に、請負人清助相違なる儀申し上げ、何とも迷惑に存じ奉り候。
おもむき
 これに依り左に申し上げ候 趣、御代官様へ前々申し上げ、相滞り申し候年賦米、清助差し出し候ように、仰せ付け下され候ように、願い奉り候えども、埒明き申さず候につき、恐れ乍ら御訴訟申し上げ奉り候御事。
1、浅畑沼廻り新田開発仕り度き由に付き、長尾川通り川違えの儀、瀬名村、瀬名川村、鳥坂村、右3ケ村田畑の内、新川掘り割り申し度き旨、16年以前江戸亀島町善右衛門、神沢清助願い上げ申し候由にて、駿府御代官小林又右衛門様へ、私共度々召し呼ばれ、3ケ村差し障り候儀、ご座無きやの趣お尋ねに付き、私共ご訴訟申し上げ候は、長尾川の儀は、竜爪山と申す高山、奥山沢々より流れ落つ川故、川筋別して地窪にて、一旦に出水夥しき荒川にて御座候に付き、長尾村下「一の瀬」と申す所より、川幅開き川横幅三、四十間、所により五、六十間程ご座候。それより瀬名山左右の高山、沢々より落水相重なり、満水の節は瀬名村中一面に水たたえ、過半床へ着き、瀬名川村とも、道筋漸く渡り歩行仕り、往来度々留り申し候。
 長尾川通り一の瀬と申す所より、巴川落合いまで、長さ五十町余御座候。うち瀬名村続き川合堤より、巴川落合いまで□程の内は、川幅狭まり、八、九間余ずつ御座候間、満水の節は水吐け兼ね申し候に付き、両堤土井敷六、七間より八、九間、高さ八、九尺より一丈二尺ご座候得ども、土井一面に小笹、柳茂り、大木御座候て、別して丈夫の堤に御座候得ども、年々破損普請絶えず、毎年二、三度ずつ堤水総越えにて危うく、昼夜共に呼ばわりを立て、総百姓まかり出で、ふりなきを付け防ぎ申し候えども、折節押し切れ、荒れ地砂利取り普請等絶えず、難儀仕り候。
 右のとおり地窪通りの川筋、地高なる山根通りに、新川掘り替え申し候ては、家居、田畑より地高に受け、満水の節
まか
は、水を頭にさヽげ候様にり成り、新堤必定押し切れ、夥しく水死仕り、その上田畑に離れ、退転仕るべく候。
 且つまた瀬名村寺院六ケ寺、門前掘り割り、水出の節檀用通路留り、差し当り仕るべき様ご座無く候。右の内二ケ寺は新川端に罷り成り、墓所とも川欠けに罷り成るべく、寺方共に難儀至極に存じ奉り候。内一ケ寺は河筋に相当り、潰れ地に罷り成り申し候に付き、本寺へ相届け、其の節代官様へ御願いに罷り出申し候。
 瀬名川村の儀は、家居、田地とも別して地窪に御座候。並びに鳥坂村の儀も地窪の田地にて、2ケ村は水腐れの村方にて御座候故、新川通りに相当り申し候瀬名川村地先、二ツ山と申す所より、鳥坂村山鼻まで、大曲りにて、水当て強き場所に御座候間、この場所の儀は、普請何程丈夫に築き立て申し候ても、土ばかりにては、持ち申さず候間、堤曲がり目、川表根通りヘは石わくを入れ、総じて川表通り根籠丈夫にふせ、水当ての場所は、杭木打ち、川裏通り土手堤芝くれを伏せ、その外川筋曲り目へは立籠ふせ、杭木丈夫に打ち、一の瀬より巴川落合い迄、新川長さ四十一町、両堤丈夫に築き立て申し候様に、願い上げ奉り候。
 且つまた新川の儀は、巴川へ横切れに落ち合い申し候間、満水には申すに及ばず、少々の水出にも、只今までの落ち合いの通り、石、砂利押し出し、巴川せき留め、両村田地水たゝえ、水腐れ荒れ地に罷り成り、退転仕るべく候。
 並びに鳥坂村の儀は、瀬名山裏通り、地高に住居仕り候故、家居へは障り申さず候得ども、村下通り掘り割り申し候
得ば、田畑に隔てられ、第一瀬名村弁才天用人掘り切り、村下山の根通りの田地、凡そ高五百石程の内、用水一切ご座
まか
無く候。堀向かい通りは、水湛え場所にり成り申し候間、瀬名川村、鳥坂村両村高四百石程の内、水腐れ又は旱損に罷り成り、3ケ村退転仕るべく、難儀至極に存じ奉る旨、其の節小林又左衛門様へ、2、3ケ年の内罷り出、願い奉り候得ば、又左衛門様御意遊ばされ候は、長尾川通り、古堤の通りに普請丈夫に築き立てさせ候筈に、江戸へも申し上げ、申し付け候間、なかなか二、三千両にては掘る事にてはこれ無く候。願人共山師と相聞こえ候。
 新川不成就に候えば、敷金を以つて、元の通り埋め返させ候ため、敷金申し付け候。三百両の敷金差し出さず候得
まじ
ば、願い叶わず候。心安く存ずべく候。江戸表へ願い候には及ぶ間敷き旨、懇ろに仰せ渡され候に付き、見合わせ罷りあり申し候処、未3月22日仰せ付けられ候由、新川堀敷に相当り候地所、負請人神沢清助へ相渡すべく、潰れ地代の儀は、追つて御渡し下さるべく候。並びに潰れ地作代、負請人方より差し出され候間、普請に相障り申さざるように、仕るべく候旨、新田御掛り筧播磨守様より仰せ渡され候由にて、両御地頭より申し渡され、3ケ村寝耳に水入り候よう、当惑仕り、早々又左衛門様へ罷り出、願い奉り候えば、又左衛門様にも、御支配所替り候ご沙汰にて、御詮議遊ばされず候に付き、江戸表へ罷り下り、筧播磨守様へ数度訴訟罷り出、新川掘り候儀、御免捨成し下され候様に、御訴訟申し上げ候えば、御奉行様方御立合い、播磨守様仰せ渡され候は、新川潰れ地代地下され、潰れ地年貢、作徳米の儀も、何ケ年分なり共、代地下されざる内は、請負人方より、きつと相渡させ候。
 寺院方へ通路の橋も、丈夫に申し付け候。橋代にてなりとも、受け取るべく候。其の外川筋に相当り候百姓家引き料代、これ又請負人より相渡させ候。堤の儀は古堤の通り、普請丈夫に申し付け候。用水弁才天池は相除き、山際へつけ掘る筈に候。
 新川不成就に候えば、敷金を以つて、元の通り埋め返させ候。然る上は其の方共願い、存分に申し付け候間、帰国仕
おもむき
り、新川地所請負人へ相渡すべし。若し右申し付け候 趣、相違の儀もこれ有らば、追つて訴え出ずべし。巨細の儀は、御代官様へ仰せ渡され候由、仰せ付けられ、是非なく一と先ず国元へ罷り越し、地所清助へ引き渡し申し候。
 古代々住居仕来り申し候百姓、散り散りに所々へ引き越し、老若男女その節の歎き言語に絶し、瀬名村は別して大騒動仕
り、3ケ村難儀至極仕り候。瀬名村にて新川筋に相当り候引き家、21軒の引き料、先ず相渡すべき旨、清助へ度々催足仕
まか
り候得ども、かれこれ難渋仕り、埒明き申さず候に付き、又左衛門様御跡役、会田伊右衛門様へ度々り出、願い奉り候得ば、請負人方よりきつと差し出すべき旨、仰せ付けられ候得ども、入用積り、私共申談候員数承引仕らず、我が儘申し、21軒の内、15軒分、金二十四両三分、漸く受け取り申し候間、引き料半分にも届き申さず候故、仕るべき様ご座無く、当分仮り家の様にあちこちへ引き越し申し申し候間、引き家の者共に於いて、只今別して困窮仕り候。
 且つまた申年1ケ年分は、年貢作徳米相済み、申年より新川掘り付け、酉春までに土手形ばかりつけ置き、埒明き申さず、べんべんと捨て置き、金元差し支え候や、川形のままにて、長尾川切り込み、水通し申すべき旨申し候に付き、驚き入り私共差し押え置き、会田伊右衛門様へ、右の趣願い奉り候えば、早速川通り御見分遊ばされ、普請中半にも出来申さず、水引き込み通し候儀、無用に仕るべく候。古堤の通り普請丈夫に、築き立て申すべき旨、負請人へきつと仰せ付けられ、この段江戸表へも仰せ上げ置かれ候段、その後仰せ渡され、有難く存じ奉り候。
 然れどもべんべんと捨て置き申し候年貢、作徳米、並びに寺院方へ通路橋代も積り、相渡すべき旨、催促仕り候えども、
まか
我が儘申し埒明き申さず、会田伊右衛門様よりも、きつと仰せ付け下され候得ども、難渋仕りり在り、其の後、清助江戸表にて如何申し上げ候や、江戸より仰せ遣わされ候由にて、沼廻り水腐れの村方18ケ村、伊右衛門様へ召し出され、新川普請丈夫に出来候や、水切り込み候ても苦しからず存じ候やと、御尋ねご座候。其の節3ケ村も召し呼ばれ、新川水切り込み候ように、江戸表より仰せ遣わされ候旨、仰せ渡され候につき、たつて願い奉り候得ども、伊右衛門様御支配所替り遊ばされ候御沙汰、御座候につき、酉の9月江戸表へ罷り下り、右の趣御訴訟申し上げ候は、請負人我が儘仕り、私共申談候も、とかく申し操り、新川深さ一尺四、五寸川形つけ置き候迄にて、水切り込み申すべき旨申し候。左候ては3ケ村いよいよ退転仕るべく候。先達て仰せ付けられ下され候通り、古堤の通り普請仕立て、並びに年貢、作徳米の儀も、請負人きつと差し出し申し侯ように、仰せ付けられ下され候よう、御奉行所様へ御訴訟申し上げ、御検使様願い奉り候えば、私共願いの通りわけ聞こし召され、山田治右衛門様へ委細仰せ付けられ候間、駿府に於いて治右衛門様へ、願い奉るべき旨、播磨守様仰せ付けられ、有難く帰国仕り候。
 然る処山田治右衛門様歩行にて、長尾川通り、並びに新川筋、明細に度々御見分遊ばされ下され、新川掘り候ても、巴川水吐けのためにも、相成らざる段相顕れ、長尾川落合い州浚い、数年打ち捨て埋まり申し候砂利、古来の通り18ケ村にて、洲浚い仕るベき旨仰せ付けられ、洲浚い普請出来仕り候得ば、沼廻り古田水腐れの村、水腐れ相遁れ、その上浅畑沼古来のとおり、水引き申し候得ども、元来深沼、はかばかしく新田出来仕らず、且つ又、巴川、長尾川落合い、洲浚い古来よ
り18ケ村にて、浚い来たり申し候所、24、5年以前より相止め、右洲浚い願い奉り候えども相叶わず、時節新川願人ご
えんてい
座候に付き、幸いに事よせ、新川掘り申し候ても、浅畑沼水吐けのために罷り成らざる儀は、淵 底存知まかりあり候得ども、新川不成就後は、右洲浚い必定仰せ付けられ候儀、眼前に存じ奉り、18ケ村のうち5、6ケ村より、請負人進め申し候風聞仕り候。
まか
 然る処、治右衛門様御見分遊ばされ、右の通り洲浚い御普請出来、新川掘り候ても、新田開発のためにもり成らず、清助渡世のように罷り成り、べんべんと捨て置き、3ケ村なお以つて難儀仕り、普請成就仕らず、これに依り私共願いのとおり、新川不用に仰せ付け候旨、子3月御勘定所に於いて、八木清五郎様仰せ付け候は、御知行所の内、新川掘り割り候処、請負人不埒、地代も相滞り候に付き、新川不用に罷り成り候。新川も潰し、御知行へ相返し候川敷年貢、作徳米、只今までの滞り候分、相済し候ように、請負人へ申し渡し侯間、右地所受け取り候様に、百姓共へ御申し成さるべき旨、播磨守様御意として、仰せ付けられ候由、両御地頭より申し渡され、有難く存じ奉り候。
 早速地所受け取り申し度く存じ奉り候得ども、最初仰せ付けられ候とは相違仕り、請負人地所埋め申さず、掘り散らし候儘にて、相渡す年貢、作徳米の儀も、差し出さず、難儀仕るに付き、右年貢、作徳米清助差し出し候ように、仰せ付けられ下さるべき旨、山田治右衛門様へ、数度願い奉り候得ども、埒明き申さず。
 然る所に神沢清助江戸表において、筧播磨守様へ願い上げ置き申し候由にて、右作徳米年賦に仰せ付けられ下され候ように、両御地頭へも度々罷り出、相願いべんべんと捨て置き、道中宿場伝馬役、並びに囲い役金、無用の出金相勤め、其の外度々御訴訟に罷り出申し候御入用金、年来相重なり、困窮仕り候に付き、8年以前丑の4月、又ぞろ江戸表へ罷り下り、御奉行様へ願い奉り候えば、筧播磨守様仰せ付けられ候は、委細の儀は山田治右衛門様へ、仰せ遣わされ候間、願いの趣、駿府に於いて仰せ付けらるべく候旨、御意遊ばされ、治右衛門様へ御状下され、有難く帰国仕り候。
 治右衛門様へ願い奉り候え共、清助只今は路頭に立ち候躰、何程仰せ付けられ候ても、相済さず、敷金も沼かこい士
しよむ
手、洲浚い入用などに相渡り、これ無く候由、新田も所務これ無く候えば、埒明き申さず候旨仰せ渡され、何とも迷惑、難儀至極に存じ奉り候。
 御慈悲に仰せ付け下さるよう、数度願い奉り候内、同年6月晦日、御勘定に於いて、播磨守様、八木清五郎様御列座にて、清五郎様両御地頭家来中へ、仰せ渡され候は、新川潰れ地埋め返し候よう、百姓共願い候えども、請負人不埒致すべきようこれ無き旨、治右衛門様より仰せ上げられ候。これに依り沼廻り新田の内、高六十石相渡すべく、埋代の心に存ずべく候。並びに年貢、作徳米の儀は、10年賦に仰せ付けられ候間、右の趣両百姓共へ申し渡すべき旨、仰せ渡され候由にて、両御地頭より申し渡され、山田治右衛門様よりも仰せ渡され、止むを得ざる事、潰れ地受け取り申し候。
たかがか
 下し置かれ候新田六十石、有難く存じ奉り候えども、沼廻り水腐れ場所故、高 懸り物等迷惑仕り、殊に村方より隔たり申し候新田故、御願い申し上げ、受け取り申さず候。3ケ村潰れ地高九十三石三斗二升九合地、年貢、作徳米酉年より丑年まで5ケ年分、合九百十五俵九合、寅年より亥年まで10年賦に相極め、1ケ年分米九十一俵一斗七升五合五勺、毎年11月中遅滞なく、きつと相済し申すべき旨、清助方より詫文差し出し、取り置き申し候。則ち文言写し、御覧に入れ奉り候通りに御座候。然れども只今まで、一粒も差し出し申さず、御掟破り、我が儘至極に存じ奉り候。
 右の趣故百姓困窮仕り、埋め立て候儀および兼ね、漸く1、両年田地に仕立て申し候に付き、右年賦の外、去る寅年より午の年迄、5ケ年分作徳米、四百三十二俵余、鳥坂村分、並びに寅年より去る未年迄6ケ年分、米五百七十九俵余、瀬名村分、2ケ村合千十一俵余、作米出方御座無く、重々難儀至極に存じ奉り候。1人の功を以つて、大小の百姓300軒余、困窮仕らせ候段、無念、口惜しく存じ奉り候。
 此の段かねがね御願い申し上げたく存じ候え共、困窮の村々古未進等相重なり、路用等の働きも致し難く、見合せ罷り在り候処、又ぞろ今度、清助新川掘り割りの儀願い奉り、なお以つて3ケ村退転仕り候に付き、拠ん所無く願い奉り候。憚り乍ら右の趣、わけ聞こし召され、新川掘り候儀、御免成し下され、右滞り申し候年賦米、並びに年賦後作米共に、清助きつと差し出し、村方相続仕り候ように、仰せ付け為され下され候様、偏に御慈悲願い上げ奉り候御事。
1、瀬名村より申し上げ候。今度願人清助、瀬名村に芝地御座候ように申し上げ、小林又左衛門様、先年の御控え帳面にも、芝地町歩ご座候よし、右の通り相違ご座無く候や、府合致し候様に改め書き上ぐべき旨、弥次郎様御手代中様、御尋ね御座候。
 清助如何様に申し上げ候や、大き相違に御座候。又左衛門様にも、荒れ地の辺御見分御案内、私共終に仕らず候間、定めて新川通り御見分の節、御見渡し遊ばされ、長尾川通り河原辺に、長尾村、北沼上村地尻の河原少々、川端通りに、芝地と見え申し候芝間など迄、御見積り遊ばされ候や、瀬名村に左様の芝地、ご座無き段申し上げ候。
 尤も瀬名村かこい堤外、長尾川通り川端辺、川原、川中共に芝間と相見え申し候分、凡そ十五、六町程もご座有るべきや
と、存じ奉り候得ども、残らず地底大石にて、芝、すゝき原など生え、見渡し申し候えば、芝地の様に相見え申し候得
まか
ども、満水の節は川筋一時の内に変わり、高川原にり成り申し候場所にてご座候。且つ又村高辻の内、六十石余の古川成り場所ご座候。此の場所、先年御地頭へ御年貢御用捨(容赦)、願い奉り候え共相叶わず、其の後古川成り段々起し返し、只今荒地にてご座候分、田高十七石余、畑高六石余、都合二十三石余芝地、長尾村境より、字「そとば山」と申す所より、原田、谷津前、九反畑、五枚畑、中川原と申す場所に御座候。この芝地古来より地主地主控え御座候て、支配仕来たり申し候芝地と、相見え申し候場所、右申し上げ候通りに御座候。
 其の上長尾川7、8日旱には、一の瀬より下へ水一切流れ申さず、古田への用水不足仕り、田ケ谷と申す辺は、古田過半旱損仕り候。此の段は御検使様仰せ付けられ、右原の内、芝地と相見え申し候処、御掘らせ御覧遊ばされ候えば、相知れ申し候。其の上用水不足の儀、夏の内御ためし仰せ付けられ候えば、これ又相知れ申し候。何とぞ御検使様願い奉り候御事。
 右の通り新川掘り違えの儀、又ぞろ今度、清助願い奉り、迷惑に存じ奉り候。新川仰せ付けられ候えば、3ケ村退転仕
おもむき
り、渇命に及び申すべきと、難儀至極に存じ奉り候。御慈悲に右願い奉り候 趣、訳聞こし召され、御検使様仰せ付けなされ、新川御免捨成し下され、只今まで相滞り申し候年貢、作徳米、神沢清助きつと差し出し申し候様に、仰せ付けなされ成し下され候はば、有難く存じ奉るべく候。御慈悲を以つて、村方相続仕り候ように、偏に願い上げ奉り候御事。
大久保玄蕃守知行所
駿河国庵原郡の内
瀬名村
元文五庚申年閏三月
庄屋
惣 太夫
同   原右衛門
組頭  藤 兵衛
同   伊右衛門
同   仁左衛門
同   伊 兵衛
同    七左衛門
同    十郎右衛門
惣百姓代 宇左衛門
同人知行所
同国同郡の内
瀬名川村
庄屋   佐次右衛門
組頭   久右衛門
同    甚 九 郎
惣百姓代 作左衛門
松平源之助領分
同国同郡
瀬名川村
庄屋   長左衛門
組頭   伝右衛門
同    甚右衛門
惣百姓代 市郎左衛門
同人領分
同国同郡
鳥坂村
庄屋   長左衛門
組頭   次右衛門
同    源右衛門
同    忠左衛門
惣百姓代 忠兵衛
御奉行所様