1、
御宮、鳥居、拝殿等修復の儀は、私共方にて仕り候。尤も入用の諸色、人足等、近村の役人へ相頼み候えば、相応に寄進致し呉れ候由に、申し伝えに候。尤も深山の小社に御座候えば、多分の入用等、相掛り申さず候と、申し伝えに御座候。
神事祭礼の儀は、正、3、9月、年に三度ずつ15日より17日迄、二夜三日の間、社務修行仕来り候。尤も近郷並びに
府辺引札の旦家より、参詣これ有り候。深山の儀に御座候えば、茶水等にも難儀仕り候間、またして遠方より罷り越し候も
の、中飯等相頼み候えば、右中食等の世話仕来り候。
猶また信心にて、夜道など仕り候者これ有り候。在所、身元等よく存じ候者相頼み候えば、小屋に差し置き、一宿致させ
申し候えば、茶代、木銭等請け置き候へども、格別の助成には、相成り申さず候えども、参詣のため、又は神社繁昌のためにも、相成り申すべく候やと、存じ奉り候につき、右の通りに仕来り候。
1、
本社、拝殿、鳥居、並びに社人家等修復の儀は、先年より社立木の内にて、小木入用次第伐り採り来り候。私共社人中にて修復いたし申し候。尤も末社の儀は、それぞれ控えの祠官、別々修復仕り候。右の通り、親々より申し伝えに御座候間、恐れ乍ら申し上げ奉り候。以上。
右此の書と外に、権現の記録と二本差し上げ申し候。此の時黒川村儀も、地境御尋ね御御座候と云う事なり。
(原本平山滝家蔵)
─御尋ねにつき申し上げ候口上書の覚え。是は御林改め御役人へ差し上げ候口上書の下書─
恐れながら御尋ねにつき、申し上げ候口上書の覚え
1、
竜爪山社地の儀除地にて相立ち、何年頃よりこれ有り候や、尤も鳥居その外修復等も何連より致し候やの事。御尋ねにつき左に申し上げ奉り候。
この段、社その外私共詰小屋等の儀、炭焼村御林境と、平山、長尾、北沼上3ケ村持ち山、この境通り中央に相建てこれあり、除地にて御座候。年数の儀、証拠書物等御座無く候え共、百三十余年以前慶長17年の頃、樽の上村権兵衛と申す者、小宮を作り勧請仕り候由、申し伝えに御座候。
右山の内へ家作、居住仕り候て、神事祭礼等相勤め来り申し候。其の後追々下山仕り、当時は里方5ケ村に、住居仕り罷り在り申し候。かつ又、社その外鳥居等修復の儀は、私共方にて仕来り申し候。尤も入用の諸式、人足等は、近郷村々へ相頼み候えば、頼み次第、相応に寄進致し呉れ申し候え共、深山の御社につき、多分の入用等相掛り候儀、御座無く候。
1、
私共詰小屋の儀、いつ頃より建て始め、平日は如何いたし置くにや、祭礼の節、如何と御尋ね御座候。この段、慶長年中宮相建て候後、追々詰小屋造り候由に御座候え共、年数等相知れ申さず候。且つ平日は明小屋へは戸を締め、錠をおろし置き申し候。祭礼の儀は、正、3、9月、17日1ケ年に三度ずつ、勤め来り申し候。右の節は近郷並びに駿府町辺よりも、参詣これあり、尤も前々より守札を引き、旦家同然の儀につき、知る人多く御座候処、深山の儀故、食物等にも難儀仕り候
間、祭礼の節は、前日より私共人足召し連れ罷り越し、茶など煎り置き、給を為め又は遠方より罷り越しの者共、中飯など
相願い候えば、焚き出し等の世話も仕来り申し候。猶また諸願にて通夜仕り候者もこれ有り、在所身元等よく存ずる者、相頼み候えば、詰小屋に差し置き、賄等致しやり候えば、参詣の者茶代、木銭等、差し置き申し候えども、格別助成に相成り候儀はこれ無く候えども、年々守札を引き、初穂等も請け候余を以つて、参詣のため、又は神社繁昌のためにも相成り申すべきやと、存じ奉り候につき、右の通りに仕来り申し候。尤も右躰の節は、平山村役人儀も相請め候て、昼夜見廻り仕来り申し候。
1、
御林と御私領境に立つ、宮並びに私共詰小屋修復の儀。先達て御吟味これ有り候処、社木の内小木入用次第きり採り来り候。私共社人中にて修復いたし候。尤も末社の儀は、夫々控えの祠官、右修復仕り、右の通り親々より、申し伝えに御座候間、恐れ乍ら申し上げ奉り候。
以上。
安永3年午9月
松平丹後守領分
駿州庵原郡吉原村
神主
同領分
同国同郡平山村
同領分
同国同郡清地村
同領分
同国同郡樽村
同領分
同国同郡布沢村
同領分
同国同郡同所
滝 掃部
滝 大和
望月 佐内
望月 加賀
望月 日向
滝 出羽
御林改め
御役人中 様
(原本平山滝家蔵)