は じ め に
 竜爪山の南麓、いわゆる竜南の地に残つている古文書を、いつかは纒めてみたいと思つていたが、なかなかその機会がなかつた。古文書を収集して、解読したり、整理したりすると、一体どれくらいの暇と労力がかかるのか、見当がつかなかつた。と云うよりは、相当な暇と労力がかかりそうで、なかなかその仕事に踏み切れず、手をつけかねていたわけである。
 ところが数年前から、郷土の信仰の山竜爪山の、歴史を書いてみようと思い立つて、いろいろと史料に目を通すことになつた。近くにある地元の古文書や、竜爪山関係の古文書を、折にふれて読んで行つた。先ず私の所に保管されている平山区有文書や、竜爪山の穂積神社神官である、平山在住の滝家の文書等、或いは隣接の長尾区の区有文書、又は北沼上、則沢の池田家の文書等、この池田家文書からは、元禄4年の北沼上村検地帳を、採録させていただいた。更には瀬名川桜井家では、新川一件という、貴重な史料を見せていただいた。桜井家にはその外に、駿河大納言関係の府中絵図等もあり、貴重な文献が保管されている。それらの文書の所蔵保管されている場所や家名は、それぞれの文書の後尾に、記載させていただいた。
 さてこれ等の文書を読んでいくと、昔の人々の生活が、或いはその人々が住んでいた時代の社会というものが、直接肌に伝つて来る感じがする。そしてあまりにも現在に酷似しているのに、驚くのである。集録した文書は、大体元禄初年から明治改元の前まで、徳川中後期のものである。私達は何か昔に、漠然とロマンを感ずるのであるが、これらの文書を読んで行く限り、もつと切実に、もつと切迫した現実の世界に、直面して苦闘した人々の姿が、浮き出て来る。地頭をいただく封建社会の中で、郷土を村を支えて来た当時の人々の労苦が、よくしのばれるのである。
 しかし一方、庶民の権利は自ら制限されていたとは云うものの、已に徳川時代も中期を過ぎれば、そのパワーは、現在にほぼ近い状態にあるように感じられる。特に「新川一件」に於いては、瀬名村を中心とする農民パワーが、中央政府の幕府役人をさえ、何かたじたじとさせるような勢いを見せるのである。
 ところで、現在この地域に残つている古文書の数は、決して多くはない。貴重なものが多く散逸し、或いは消滅してしまつていると思われる。これはどこにも共通する現象であろうが、惜しい限りである。貴重な文献は、一度消滅すると、もう永久に帰つて来ない。
 そのような意味に於いても、この地にのこる古文書を纒め、それを活字にして世に出すということは、非常に意義深い重要な事であると考える。現存の古文書の散逸や消滅を防ぐばかりでなくて、まだ日の目を見ない貴重な史料をも、世に出す事になるかも知れない。そのような貴重な文書は、奥蔵されていても、或いは虫に侵蝕され、或いは鼠の巣となつたりして、消滅してしまう事も多い。或いはごみとして、一括して焼却されてしまう事もあるかも知れない。古文書に対する関心が高まり、いま一度家の奥に蔵されている古文等を、見直していただきたい。未発見の古文書が世に出る事を、切に願つて止まない次第である。
じかたもんじよ
 古文書にはいわゆる地方文書が多く、中には解読が非常に困難なものもある。お家流できちんと書かれていればよいが、我流で書かれている場合も少くない。別に難かしい文字が使われているわけではないが、何とも読めないこともある。或いは前後の関係で、判読しなければならぬことも多い。それに虫食いで紙が抜けていたり、又は年数を経て欠損していたりする。
 一般に古文書の読みは、細部に漢文の手法が使用されていて、ひつくり返して読む場合も多い。又あて字も多く、特別の習慣読みも出て来る。そのような事から、今回の読み下しは、必らずしも原文の翻字化にこだわらず、現在使用されているわかりやすい漢字や、おくり仮名を使用した。いわゆる現代文の読み下しに直した所が多い。しかし必ずしも統一されてはいない。所によつては原文のニュアンスを残すために、原字をそのままに使用した所もある。そのようなことは、特に始めの方が多い。
 このように、現代風の読み下し文にした事は、この本を読んでいただく読者の為に、わかりやすくという事を、第一に考えたからである。そして一人でも多くの方に読んでいただきたい。読み物としても、充分面白い内容であると、ひそかに考えている。とに角編者にとつては、解読していつて、全く迫真の記録であつた。その故に、ドラマよりも、更にドラマ的であるとさえ思つた。この読み下し文について一言つけ加えるならば、この文は決して原文を損つてはいないと思う。例えば史料としても、充分使用していただけると、編者はひそかに考えている。しかしより厳正な史料としては、原文そのままの翻刻が望ましい事は、云うまでもない。けれども原文そのままの翻刻は、一般読者には、大変読みこなしが困難であると思われる。
 これまで大部手前味噌の事ばかり言つたような気がするが、要は、この地の貴重な古文書を、いつまでも保存し、更には尚眠つている資料があれば、それを掘り起し、それらを地域共有の財産として、末長く保存したいという念願からである。
 最後に、浅学非才の身もかえりみず、しかも本務の暇をみて、ようやく一書をまとめる事が出来た。しかしさぞかし、各所に粗漏や誤謬、思い違いも多い事であろうと思う。大方の先学諸先輩方の、きつい御叱正を願つて止まない。
(昭61・12・20)