この「駿河龍爪山由来」は、はしがきにも書いた如く、駿府近在に昔─江戸時代の半ば頃─から、伝えられて来た筆写本である。いつ頃誰によって作られたか不明であるが、ある程度古くからあった物語を加筆し潤色して、纏まった読み物にしたものである。そのような作業をした人は一体誰かということであるが、それは分からない。ただひとつ言えることは、1人の僧が関わったことだけは事実である。それも禅宗曹洞宗の僧侶に間違いはない。物語を読んでいくと、随所にそれを示す箇所がある。
その禅僧は、当時の駿府近在の曹洞寺院の状況や、法系等にも明るく、それにも増して仏教教理や、教学にくわしい。また漢籍にも精通していて、まことに博学多識おどろく程の善知識である。
ともあれこの
稀覯本は、広義の龍爪山信仰のもとに生まれた物語である。この信仰は徳川期になると、今と同じく多分に竜
爪権 現社のみの、点の信仰と言うことになるが、それ以前にはもっと広範囲な円のそれであった。龍爪山系一帯と言うか、
この物語に出てくる道白山も行 翁山も、その中に含まれていたのである。
明治の初年─神仏分離のとき─に表題の一部を書き変えてある。
もっと大きく言うならば、龍爪山を縦走する現在の東海自然歩道は、かっては日本を縦走する山岳宗教、修験の道であった。
さて、こん回この「駿河龍爪山由来」を校訂するに当っては、筆者の手元にある古写本を底本とした。しかしこの古写本は虫食いがひどく、解読が全く不可能な箇所も何箇所かあった。その不明な所、或いは明らかに写し違いと思われるものは、内閣文庫所蔵の一本を参考にして訂正した。尚これにても疑問の残るところが一、二箇所あったが、それは後日を期して校定したい。
このような問題は、他に古写本が何本か残っていれば、解決されると思ふのであるが、現在のところ一本も発見されていな
い。大正3年に作成された西奈村誌や麻機村誌、その他にも記載はあっても、簡略に記されていたり、或いは残念なことに省略されていたりする。
とにかくこの古写本は、急速に幻の書となりつつある。筆者が世に問う気持ちなったのは、この
稀覯本を何とかして世に残したいという心からである。最後に校訂にあたっては、なるたけ原本に忠実に史料性を尊重した。従って語旬や送り仮名等、無理のない限りそのままにした。それでは各物語について解説を加えて行くことにする。