第五の謎は穂積神社に関してである。
穂積神社はすでに述べたように、龍爪権現が明治初期の神仏分離令により名を改めたものであるといわれている。
龍爪権現の「権現」は本地垂迹説の思想である。仏や菩薩が人々を救うために日本の神々に姿を変え、この世に現れたという意味である。だから、国家神道を強引に推し進めようとした明治政府には容認されるはずがない。したがって、地方の一小社に過ぎない龍爪権現が、明治政府の命令に服して改称するのはやむを得ない。だが、問題は改称後の神社名である。なぜ穂積神社としたのか。
五穀豊穣を祈って名づけたといわれている。稲の「穂」と「積」を合わせて穂積神社としたというわけである。なるほど一理あることはある。
しかし、私が龍爪山に登って見渡したところ、周囲は森と茶畑それにミカン畑、竹薮である。ここから五穀豊穣の発想は出てこない。むしろ、山に関係する神社名、たとえば端的に「龍爪神社」でもよかったし、所在地の名をとって「平山神社」でもよかっただろう。
あるいは、麓の静岡市には静岡浅間神社もある。カットに使った写真のように、穂積神社や龍爪山を少し南に下ったところに、富士山を見事に遠望できる場所もあるのに、なぜ「浅間神社」としなかったのだろう。
全国各地には浅間神社の名を冠した神社は数多くあるではないか。
権兵衛が使用していた鉄砲にちなみ、勇壮な鉄砲祭をしていた神社なのである。武勇の神の八幡神社でもよかったろう。「鉄砲神社」もありえたではないか。
「穂積」とは古代の名族である物部氏の一族という。そのような大きな姓が、この駿河の、物部氏とは関係のなさそうな、さほど大きくもない神社の名となったのには何か理由があるはずである。
「穂積神社」の名を選択した隠されたわけとは何なのだろうか。
祭神が大己貴命と少彦名命の理由は
第6の謎は祭神である。これも神社名と同様に、なぜ
大 己 貴 命と
少 彦 名 命になったのだろう。
明治という新時代を迎えて、新たなる近代日本の国家建設の願いをこめて、この二柱の神を祭神に迎えたという説がある。
たしかに、日本書紀と古事記にはこの二柱の神が協同して、古代の日本の建設のために働いたという記事がある。だが、これは土着の神、すなわち被征服民である国津神の大己貴命と征服民である天津神の少彦名命に協同作業をさせたいという政治的意図から作られた神話である。
それに加えて、大己貴命の「大」と少彦名命の「少」とが対をなすから、なんとなく人々に受け入れやすい印象もある。
しかし、表にあるように両神をともに祀る神社は意外に少ないのである。これは後に説明するように、望月氏の系図に登場する地名のある県、すなわち静岡、山梨、長野、岐阜、愛知五県の神社を、史学センター発行の全国神杜名鑑から数え上げたものである。
大己貴命と少彦名命を祭神とする神社の数
県 名 | 神社数 | 大己貴命のみ | 少彦名命のみ | 両 神 |
静 岡 | 250 | 20 | 2 | 2 |
山 梨 | 130 | 7 | 0 | 7 |
長 野 | 100 | 8 | 1 | 2 |
岐 阜 | 230 | 10 | 0 | 1 |
愛 知 | 330 | 22 | 5 | 1 |
注:神社数は、概数
静岡県についていえば、穂積神社のほかには両神とも祀る神社は一社しかない。山梨県がやや多いが、ほかは長野県、岐阜県、愛知県とも静岡県と似たような数字になっている。
もし、上のような理由から祭神を決めたならば、大己貴神と少彦名命の両神をともに祀る神社がもっと多くてもよいはずであろう。それが意外に少ないのである。
山にあるのだから大山津見神でもよかったのではないか。木花開耶姫命との相神も考えられただろう。
大己貴命、大国主命、大物主命はみな同じ神である。福徳の神として、大国主命の名のみでもよかったはずである。反対に、少彦名命を単神として祭神としても差し支えなかったろう。
皇室の祖先神の天照大神ではなぜいけなかったのだろう。この神を祀った神明社は全国に数多く散在する。
以上のように両神を祭神に選んだ理由は明かでないのである。
明治はじめといえば、人々はまだ宗教的呪縛からは解放されていない。祭神はその神社を信仰する人々にとっては、現代の我々が想像もできないほどに何物にも替えがたい精神的な拠り所だったのである。
また村や講の人々が団結する中心にいるのがその神社の祭神である。祭神を祀ることで、人々は自分たちがこの神のもとに共同し連帯していることを確信し、かつ確認しあうのである。
このように重要な祭神を曖昧な理由で決めるなどは、神をないがしろにするばかりか、その神を信ずる人々自身の自己否定にもつながる。ありうることではないのである。
「名は体を表す」という。神社としての穂積神社を名とすれば、祭神としての大己貴命と少彦名命は体であろう。すべてのものは名と体が有機的に結合して存在する。だから、名と体とを分離し、それぞれについて論じても正しい解答は得られない。
要するに穂積神社という神社名と祭神の大己貴命・少彦名命とは両々相まって論じられるべきなのである。
明治天皇は明治神宮の祭神であり、平安京を築いた桓武天皇は平安神宮に鎮座する。同じ天皇だからといって、この逆はありえない。
以上が、龍爪権現・穂積神社をめぐる謎の数々である。答はまだ何も出ていない。